昭和48年6月21日 朝の御理解



御理解第27節「昔からあの人は正直者じゃ、神仏の様な人じゃと云う者でも段々不幸なことが重なって世間ではどういうものであろうと云う様なことがなろうが。何程人に悪いことをせぬ正直者でも人が善いのと神に信心しておかげを受けるのとは別物ぞ。」

 よく似ていますけど一寸違うところがありますね。今朝ここんところを聞いて頂きたい。
 神に御無礼粗末があるからなんぼう人に悪いことをせぬ正直者でもと云うところ、人の善いのと神の無礼はまた別物と云うところ、この辺のところをそれに当てはまるかどうか分かりませんけど聞いて頂きたい。
 これは信心頂いてとりましても、やっぱりこの人は信心して仲々仏様のようなお方、神様のような人、熱心に信心が出来ると云ってもです、やはり神様に無礼が出来たら、どうしてあんなことになっただろうかと云うことにもなり兼ねないのです。
 私はそういうところはとても普通でまあ云うならば、その人の難儀なら難儀と云うものを切り刻みするようなことですから、仲々お話出来ないこと。
 これはある今ここにお参りしとる信者さんがある教会にお参りをしよった。それ以前にはまた別の教会にもお参りしよった。ところがその例えばA教会とB教会の先生がその信者を取り合いなさった。そしてえらい喧嘩しなさった。A とB の先生がうちの信者ばい、うちの信者ばいと云う訳で、そう云われるのが辛さにここに参ってきた。そして現在も今ここに参って来ておる。これはもう二十何年も前の話です。だからその方が自分は本当に困ると、あちらに参ればどう、こちらに参ればどうと先生達が争いなさるから結局自分は当時の椛目に参ってきた。だから虻蜂とらずになった訳ですね、先生方。そのことを神様にお伺いしたときが、信者の取り合いとはどういう事かと云うと、その時お知らせが、馬を二匹頂きました。馬二匹とはどういう事じゃろうかと云うと、馬馬(うまうま)と自分のうまうまに関係する訳です。
 教会なら教会の栄養と云うのですかね、云うならお得意さんを一人減らすことになる。いわゆるそれだけ儲けが少なくなる。そういうことに根ざしてAとBの先生が争いなさったときに、そこに頂いた御理解が結局はうまうまが原因だと云うことを頂いた。
 如何に欲を放さなければいけないかと云うこと。これから本当の極楽とは、最近よく
  腹を立てず  愚痴を言わず 欲をせず 
 と、云うことでしたね。この欲と云うことが往々にして御無礼になることがあるのです。
 
  大久保先生と云えばそれこそ九州切っての偉い先生でした。けれども老骨に鞭打ってとはまあそういう風な生き方をすると有難いのですけれども、自分の心の底にです、いわゆる名誉欲とかあちらへ勤めれば沢山の給料が貰えるからとか云ったものがかすかにでももしあったとするなら矢張りそれは御無礼ですね。
 だから私がお知らせを頂く限りに於いては、ああ云う偉い先生があったけれども、ああ、名誉欲があんなさったばいなあ、ちったあ金銭欲もあんなさったばいなあ、家に座るより本部の方がよけいの貰うと云った様な、家には息子どんがおるけんでと云った様なものが、まあ悪ざまにこうして分かり易く云っておる訳ですから御霊様に対して本当に相済まんのですけれども、御霊様ももしそういう様なことがあって、云うならばそれまでにはどれ程しか、もう年も取った事だし、御結界で信者を相手に教師として一番最高なことは御結界奉仕することだ。そして沢山の信者達に親先生が居って頂くからと云う風に信者に喜んで貰うことなんだ。只どういう場合であってもです、御用も大事です。大事だけれども何と云うても私は御結界が一番大事です。ところでやはり本部あたりのそういう重い役をする者も居らねば出来ませんけれども、云うならそれを若い方達に譲ってです、御自分が飯塚東教会ですが、に居られたらああ云うことはなかっただろうと云うことなんです。
 してみると、信心があってもああ云う風にお徳を受けられた先生であっても、先ず私はどこにかです、名誉欲とか金銭欲と云った様なものが先ずおありになったと思わなければならんのです。
 だからそれまでには、どれだけお気付け頂きなさったことか分からんと思うです。も行っちゃならん、いかんと云った様なね、それに老骨に鞭打っておいでられたのか。わざわざ御本部に学院生を引率してそしてお参りをして帰りがけの事なのです。しかも正面に行っておられた。ですからあの自動車事故に遭われた。それが結局は死因であったと、お祝詞の中にも書いて・・・読まれました。
     
 私はどうして昨日行ったかと云うと、古賀先生が椛目で修行しよる時分に、先生が当時の椛目に見えると云うことを御通知を受けましたから、神様にお願いさせて頂きよりましたら、教兄としての礼を尽くせと頂きました。いわゆる同じ教えの中におる私のお兄さんとして扱えと頂きました。
 ですからその後開教式の時にも見えてその事を古賀のお母さんが本当に大切にして貰って相済まんと云うてから云われたときに、こちらの先生は神様から教兄と云うお知らせを頂かれて、いわゆる教えの中のお兄様としての仕えを貴方に対してなさっているのですよと云うて、古賀さんのお母さんが云ったそうです。
 その時の事を御直会のときに云われるのです。いや、御直会が一応済みましてね、偉い先生方が四、五人残ってから、いわゆるそれから二次会のようなことがあった。しかも先生お泊まりなさいませと云うてから泊まって頂いた。そして翌日帰られた。そして翌日食事のときお神酒を差し上げたときにそれを仰るのです。
 古賀さんから聞いたら私のような者でも、ここで御飯を差し上げたんですよ。そして私はどんな場合であっても自分の控えのときには、私の座と云うのは床の間の方に座るんですよね、けれどもその日は私は大久保先生を上座のいつも私が座るところに据えて、そして私がこちらへ座った。
 そのときえらい遠慮されたんです。そげなこと先生あなたが向こうに座らにゃいかんとこう言われた。けれども私が上座に座って頂いて御神酒を差し上げるときに古賀さんから、こうこうと昨日聞いたが、昨日じゃない椛目の時代ですね、聞いたが私ぐらいの者を教兄として神様からお知らせ下さったと云うことでは、云うならば私が兄でこれは兄の方がつまらんばってが宜しく、兄弟分の杯を致しましょうと云うてから、まあ冗談云いながら杯を交わしたことがあるくらいです。
 ですからあちらの記念祭の時にも電話で教兄と云うことを使われました。まあ親方の内の記念祭じゃから弟に通知せん訳には、大体は畑違い、いわば場違いと云うか勘違いなんだけれども、記念祭だから参拝してくれと云うことであった。だから当時参拝者としておかげ頂いた。
 昨日もやっぱり特別参拝者としておかげ受けた。けど、どういう関わり合であってです、そういう先生の事を決して私は悪ざまに云うのじゃないです。皆さんにおかげ頂いて貰わんならんから云いよるとです。だから先生も喜んで下さると思うんです。
 本なごと大坪さん、そう云えばそんなものがあったと恐らく御霊様もそんな風に合点しとられるんではないだろうか。
 それまでにはもう、随分もういけないと断わる理由はいくつもあったろう、そういう時もあったろう。馬か足をつん張って行かんと云ったけれども、まあ御用だからと云うて、老骨に鞭打っておかげ頂いておったが今度こういう事であったと、まあ云うておられるだろうと思うです。
 けどその内容と云うものをもう一ちょ顕微鏡で眺めるようにしてその心の中を眺めたときにです、大久保先生の心の中に矢張り名誉欲と云うか、物質金銭欲と云ったものがないではなかったのではなかろうか。それは私がお知らせを頂いて初めてそれをそう感じたんです。それがここに信心をしておってもです、神様に御無礼が出来たらと、もうお年も七十八歳からの高齢でありますから、云うなら年に不足はない年でございますけど、もっともっとお道のために九州の道の為にもです、まあ九州の長老として長生きをして頂きたかった。
 そしてそれが事故が元で亡くなられることになったことを本当に惜しいと思います。今日御理解がたまたまそういうところを頂きましたから、そすと昨日から頂いておることを併せてです、私共でもそうです。誰しもあしたは欲がないのなんのと云いよるけれども、厳密に厳密に只肉眼ではない、心眼で見たなら、神様が御覧になったとき顕微鏡を当てて見たときに、あるわあるわ、それこそ泥棒心もあれば乞食もある。云うならば名誉欲もありゃ、金銭欲もあるのじゃないでしょうか。
 ここはまあ、厳密に云えば限りないことですけれども、いよいよ私共がね、限りなく美しくならして頂くことにもならなければ、信心しておっても神様に御無礼のことが出来る。だからそこんところを神様がおかげ下さろうとする。為にはもう様々な手を使い、あの手この手を使ってです、そういう事は止めよと云うこともあろうけれども、それを気付かずにそれこそ老骨に鞭打ってでも行こうとする。そういう意味ででも合楽で云われておる神ながらの道、神ながらの道よりも成行きを大切にして行く道をね、如何に素晴らしいことか分かりますね。
 もう成行きの中にです、ストップならストップ、前進なら前進と云うね、働きを必ず頂くんですから。それは成行きを大事にして行くと、これは事、神様ごとだからと云うて、鞭打って行くと云うことをその中に我情があり我欲があると云うことでは、積もり積もってやはり神様への御無礼にもなると云うこと。そういう事を今日は聞いて頂きましたね。 どうぞ。